富士山を見たいと思った。日本を代表する山、というよりも日本の象徴ともいえる富士山。新幹線などで東京に行ったときなどきまって曇り空で、それまではっきりと見たことがなかった。というわけで、半年ぶりに車で旅に出ることにした。地図を見ると国道1号線をまっすぐ行けば富士山だ。愛車、ミラパルコに乗り込み、京都は宇治の自宅を渋滞をさけるため夜8時頃出発した。 昼間は超渋滞する幹線道路も夜はスムーズに走る。快適なドライブ。ただ雨模様の空が心配だが、構わず先を進むことにした。名古屋を越え、静岡を越え、清水市を越えた辺りの古いドライブインに車を泊めて仮眠する。4時間ほど寝た後再出発。しばらく行くと真新しい道の駅が出来ているのに気づき後悔する。今度来るときはここで泊まろうと思う。空はあいにくの曇り空。富士山も見えない。と、いうわけで急遽、伊豆半島へ行くことにした。三島市で136号線に入る。この道をひたすら南へ走る。伊豆半島内陸部を通って道は西へ駿河湾の方へと続いている。海に出た。どんよりと曇っているが美しい風景。ここから富士山が見えるかと期待したが見えなかった。そのままひたすら南下する。半島南端の町下田から今度は414号線を北へと向かう。伊豆半島の内陸を一気に登っていこうというのだ。途中さまざまな名所があった。天城ループ橋、天城峠。半島の付け根のところまで戻ったところ、地図を見て「十国峠」という名に聞き覚えがあったので、そちらに行くことにした。道は厳しい坂道となり右へ左へとうねりながら続いている。

 その頂き近くと思われるところが広く開けており、店が建ち、観光客が訪れていた。ここから富士山がよく見えると聞いたように思ったのだが、ここでも厚い雨雲に阻まれて目的は達成できなかった。そのまま進む。あまりの眠たさに途中で仮眠をとり進む。そうすると箱根峠というところで国道1号線と合流した。このあたりは東京、大阪間を通る道の中で最も高い所に位置するらしい。 その場所から下を見ると芦ノ湖が見えた。テレビなどでよく見る風景。この有名な湖はこんなに山上にあるのかとあらためて思った。それから1号線を小田原の方へ向かう。途中、温泉街を通ったのだが、あの箱根駅伝で見覚えのある風景が続いている。小田原市について、折り返して富士山の方へ向かった。もっすっかり日も暮れて今夜泊まる場所を決めかねていたのだが、トラックが数台止まっている駐車場があったのでそこで泊まることにした。ウトウトとした頃、突然爆音が轟いた。暴走族である。こんな所まで走りに来るのかとけげんに思っていると前の道を通り過ぎて行った。やれやれと思って眠りの世界に入ると、またもや爆音が聞こえる。先の連中が引き返してやってきたのだ。通り過ぎてくれることを願ったが、なんとその一行は次々とこの駐車場へ入ってくるではないか。車での旅に慣れていない自分は少しビビってしまった。気にしちゃいかんと寝ようとするがなかなか寝付けない。そうすると何人かがこの車の中をのぞいている気配がする。30分ほどそうこうしているうちに、その一行は爆音を轟かせて去っていった。 早朝4時30分に目が覚めた。外に出るとかすかに明るくなってきている。ここはただの駐車場と思っていたが、神社の駐車場だと分かった。浅間神社。その前から富士山の登山道が続いている。そうすると薄明かりの中にぼんやりと富士山が見えた。生まれて初めての富士山は目前に思いの外大きくそびえていた。霊峰とはよくいったもので思わず手を合わしてしまった。国道138号線を北へと向かう。そうするとその突き当たりに大きな湖が現れた。山中湖である。朝の青い空気に包まれてひっそりとたたずむ山中湖。その周りにはきれいに整備された駐車場とトイレがあって、またもやここで泊まればよかったと後悔した。 富士山はもう何も臆することなくどこからでも見てくれとばかりにその壮麗な姿を隠そうとはしない。雨の後の今日は青空が広がりとてもよい日になった。どこを走っても富士山を見ることができて僕は嬉しくてしかたない。度々立ち止まってはその姿に見とれている。富士五湖を巡ることにした。河口湖についた。ここはまわりにホテルや旅館が立ち並び富士観光のメッカという雰囲気だ。富士山が水面に映ってとても美しい。 西湖に着く。対岸には溶岩の固まった姿がむき出しており、富士山が火山だということをあらためて教えてくれる。精進湖は折からの水不足に一番影響されていると思われ、土色の底が多く露呈していた。そこからまたしばらく行ったところが本栖湖である。湖周を走っていると、公園になっているところがあって、車が何台か止まっており、何人かが写真を撮っていた。ここは富士山が一番きれいに見えるところらしく、五千円札の富士山の絵はここからのものだという。 ここまで来て、ぜひとも訪れたい所があった。今、日本中を騒がせているオウム真理教の本部のある上九一色村である。ラジオもテレビも今、この話題一色である。強制捜査は入ったものの、肝心な教祖、麻原はまだこのとき逮捕されていなかった。その場所へ向かった。樹海を抜けた先に第一の警察検問があった。観光ということでそこを通過。うっそうとした林の中を走る道は一気に広がる高原に出た。そんな物騒な話題とは似つかわしくない、とても美しい高原である。こんな美しい高原を汚そうとする集団は許せない。よく見るとあちこちにオウム特有の窓の少ない白い建物が建っている。高台から全景を見たあと、いよいよその中心部分へと向かうことにした。そこで第2の検問をぬける。空き地があったのでそこから眺めると遠くにテレビなどで見覚えのある建物が林立している。そしてその側には何十台という警察車両が止まっている。なおも行こうと、ある細い道を進むとまたもや検問があった。ふとみると有名なサティアンがすぐ側に建っていた。ここでの検問はそれまでとは違った。車のナンバーを控えられ、どこから来たのか、何故来たのかを聞かれた。京都から軽自動車で来たというとけげんな顔をされた。助手席にビデオカメラをおいていたので、これについても質問された。オウム信者といえば何でもかんでもビデオで撮ることで知られている。まずい、と思いながらも、戻りなさいという警告に従ってその道をUターンして戻った。帰り道、新聞社のハイヤーが何台も猛スピードですれ違っていった。太宰治の小説「富岳百景」に「富士には月見草がよく似合う」という有名な一節がある。その舞台となったのはたしかある峠だった。その場所が何処だったのか、自分は忘れてしまたのだが、是非ともそこへ訪れたいと思っていた。そこには宿屋があり太宰はここに寄宿して、そこから見える富士は完璧すぎて、風呂屋の絵のようだと書いていたと思う。地図を見て、その場所である可能性のある場所を探した。峠であることに違いはなかった。十国峠も、もしやと思ったが違った。河口湖から北へ甲府へと続く道に峠がある。それを見て、ここだ、と確信した。さっそくその場所へ向かうことにした。しばらく坂を上ると、新しいトンネルがあった。ここじゃないと感じ、旧道を登っていった。それからどこがどうしたのか、とても細い山道を登っていくはめになった。もう車のすれ違いもままならない山道である。この道じゃないと思いながらもしばらく登っていった。違えばUターンすればいい。こういう気楽さも軽自動車ならではである。いよいよ違うと思い引き返そうと思ったとき、不意に美しい景気に出会った。視線の先に富士の頂きがある。富士を横から眺める。当然標高からしてもそんなはずはないのだが、そのように感じた。目下に河口湖がみえる。この風景は儲けものだった。引き返すと、なるほどその場所はそこにあった。テレビや本などで見覚えのある木造の建物。その前から見る富士山はとても美しかった。その前が公園のようになっていて、そこから山の上へ登っていけるようになっている。途中、あの有名な一節の石碑が建っている。文学作品もその舞台に実際に訪れてみると、てとても身近に感じる。そのすぐそばに古びたトンネルがあり、そこをくぐって甲府の方へと進むことにした。歴史を感じさせるトンネル。道内を照らす明かりもなく向こうに見える出口の光が神秘的に輝いている。甲府の町を抜け、国道20号線をひたすら諏訪の方へと北上する。この道も快適だった。途中右手に見える雪を頂いた八ヶ岳が美しかったので車を止めて眺めていた。八ヶ岳には以前登ったことがある。20人くらいバスで来て、各人大きな荷物を担いでベースまで行き。そこにテントを張って、赤岳、横岳などを縦走した。なおも走ると諏訪へついた。

古い諏訪の町並みを抜けると美しい諏訪湖へ着く。空気が他と違って澄んでいるように思う。このあたりには精密機器の工場が多いと聞くが、それも納得できるように思う。湖岸を走る。岡谷ジャンクションの巨大な橋の下を抜けて塩尻へ。そこから国道19号線を一気に岐阜方面へと向かう。信号の少ないこの道。距離のわりにとても早く岐阜へつくことができた。そこから能登へ行ったときのように、滋賀県を通って京都は宇治の自宅へと戻った。


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