ある日、テレビを見ていて、興味深い風景に出会った。山深い狭い谷間にたたずむ温泉街。その風景は戦前の日本が手つかずに残っているような、明治、大正時代のそれだった。こんなところが日本に残っているのかと感動して、いつかは訪れたいと思っていた。そして、何気なく読んだ藤子不二雄の短編マンガ「山寺グラフティー」。この話に深く感動した自分は、その舞台ともなっている寺へいつか行ってみたいと思っていた。その温泉街とは、銀山温泉。その寺とは立石寺、通称山寺(やまでら)。ともに東北、山形県の名所である。というわけで、山形県に向けて出発することにした。9月29日夕方6時。京都府宇治市の自宅を出た。車は愛車のミラ、モデルノ。ルートは以前富士山へ行ったときと同じく、国道1号線をひたすら行くコースである。滋賀県で少し混んだが、あとは夜だったおかげでスムーズに行くことができた。静岡県、「道の駅・富士」まできて、車を停車させ仮眠することにした。朝5時30分、周りの明るさで自然と目が覚めた。そこから東京まで、どのコースで行くか迷ったんだけど、富士山の方へ回って行くことにした。国道1号線から139号線に乗り換えて、富士山の西側を北へと向かう。広い自動車道を走る。早朝のさわやかな風が心地よい。139号線をひたすら北上する。道は富士山の北側を東へ向かうようになる。この辺りは以前に来たときに通った道だ。あのとき富士五湖を巡ったが、後で後悔したことがあった。「忍野八海」を訪ねるのを忘れたことである。もう一度富士山に来たときは是非立ち寄ろうと思っていた。と、いうわけで、早速「忍野八海」へ。目を疑うような青く澄んだ水。それぞれは小さな池だが、一説に、昔は他の富士五湖のように大きな湖だったということだ。まるで吸い込まれそうな美しい池の風情を堪能し、次へと向かうことにした。山中湖の北側。413号線から八王子へ行く方が渋滞しないのではないかと思い、進むことにした。しばらくはいくつもの峠道を軽快に走る。しかし、町に近づくにつれて車が多くなり。ついに本格的な渋滞のまっただ中に突入した。車での旅で渋滞ほどつまらないものはない。のろのろ運転が続く。町である。いつもの町。喧噪の中を走る。八王子市を抜け、立川市に入った。どこか車を止める所はないかと探していたところ、立川市の球場公園があったので、そこに車を止めた。少しゆっくりとして、近くの銭湯で風呂に入り、コンビニ弁当を買ってきて食べて、早い内にそこで寝ることにした。古いトイレがある狭い駐車場だが、夜、閉まらないようなので幸いである。夜。1時頃目が覚めた。そこで、このまま東京へ車で行くことにした。国道20号線を新宿の方へと向かう。深夜なので車は空いているかと思いきやタクシーや乗用車が昼間なみに走っている。目的地は「お台場」である。少し前、フジテレビの新社屋ができたということで、テレビを賑わしていた場所、そこへ行きたいと思った。しかし、地図を見てその場所へ行く入口であるはずの「レインボーブリッジ」へなかなか到達できなかった。まるでややこしい迷路のようだ。そうこうしている内にやっとお台場へつくことができた。やはりそこで一番目に付くのはフジテレビの新社屋。まるで宇宙ステーションのようなあの建物だ。社屋の前には深夜であるにも関わらず多くの若者が車で乗り付けて停車している。僕もその車列に加わって、朝まで寝ることにした。早朝、日の出前に目が覚めた。辺りはまだ暗い。レインボーブリッジには照明が灯され美しい。遠くその後方にうっすらとオレンジ色の光が見え始めた。トイレに行きたくなって、公園の公衆トイレに入る。まだ出来立ての新しいトイレ。少しゆっくり目に用をたして出てくると、もうすっかり明るくなっていた。公園を水際まで歩いていく。朝の港の風景。ゆっくりと船が通り過ぎていく。涼しい風が気持ちいい。5時30分。早朝なら東京の町も車でスムーズに回れるのではないかと、市街地へ行くことにした。レインボーブリッジを渡る。市街地側、大きくループする道。そこからお台場の海浜公園、フジテレビ新社屋などが見える。朝日がそれらの新世界を照らしている。まず訪れたのが東京タワー。言わずと知れた東京のシンボルタワー。その前の道をまっすぐと皇居の方へ走っていく。いつもテレビで見る風景。実際に見るのは初めてである。皇居の周りを一周回ってみた。国会議事堂、警視庁、国立劇場、最高裁、丸の内街。見覚えのある建物が数多く建っている。ここはやはり日本の中心なんだな、と実感した。早朝、車が空いていたことも手伝って、そこを二周して、神田を通って水道橋を渡り、後楽園球場へ。その他あちこちと走って新宿の方へと向かった。新宿副都心。高層ビルの林立する近未来都市。その谷間に立ってみて、その高さにあらためて驚く。その中でも特に目を引くのはやはり、建ったばかりの東京新都庁だ。この建物だけは別格だと思った。その外見からも、壮麗さというより不気味にさえ感じるほどの人間の感覚を越えたばけものに見えた。その頃からぼつぼつと渋滞しはじめたので、東京をぬけて北へと向かうことにした。国道6号線を茨城県の方へ向かう。土浦市で国道354号線を太平洋の方へと進んだ。すると広い湖が見えた。霞ヶ浦。その名はバス釣りをする人なら誰しも知っているだろう。西の琵琶湖に対して東のメッカである。354号線を鹿島灘へ出て、51号線、海沿いの道を北へと走る。大洗を過ぎて、245号線に乗り換える。最近賑わしている原子力発電所で有名な東海村に入った。そして、6号線に合流して北茨城市を通る。しばらく行くと「野口雨情記念館」という看板が目に付いた。野口雨情というとあまりに有名な童謡作家だ。僕もとても好きである。彼がこのあたりの出身だとは知らなかったが、これはもうけものとばかりに記念館へ入っていった。それから国道6号線をひたすら北へと向かった。相馬という町についた。今日はここで一泊しようとコンビニで食事を買い、銭湯を探すことにしたがなかなか見つからなかった。夜を明かすのにどこか適当な駐車場は?と思って町中を探したがそんなスペースは無い。地図を見て海の方へ行くことにした。そうするとそこに民宿や旅館が立ち並ぶ地帯があった。これはしめた、とその中の一軒に入って聞いてみると、風呂のみは500円とのこと。さっそく風呂場へと向かった。この旅館、鉄筋3階の大きな建物なのだが客の姿は見えなかった。最上階にある風呂も自分一人だった。湯船に浸かりながら一日の疲れをいやす。大きな窓からみえるのは暗闇につつまれた空間だった。車でなおも海の方へと進むと漁港だった。その側に大きな橋が掛かっていて、その下方が公園になっておりトイレもあったのでここで夜を明かすことにした。早朝激しいエンジン音で目が覚めた。すぐ目の前を小型の漁船が何隻も出ていく、その音だった。上を走る橋は海を渡り目前の島らしいところへ続いていた。顔を洗って準備して、橋を渡っていった。そこは美しい風景だった。海から昇る日の出がまぶしい。内海には小島が浮かび、外海の沖には漁をする船が浮かんでいる。ここは松川浦といって有名な景勝地らしい。偶然だが、こんな場所に泊まっていたのだ。相馬市から少し北へ走って、113号線を左、内陸の方へ入っていく。途中白石市の辺りで「ロケット公園」という看板が目についたので興味本位でその場所へ行くことにした。あまり期待していなかったのだが、そこは思いの外本格的な公園だった。中でも実物大のH2ロケットには驚いた。日本のロケットといえば鹿児島県の種子島。なぜこんな東北にロケットが?と思い説明を読んでみると、ロケットにつかう精密機器を多くこの町で製造しているということだった。国道457線を行く。蔵王のふもとを走って国道286号線を西へ進むとそこは山形市である。山形市内に入る。四方を山に囲まれた内陸の都市。国道13号線を少し北へ走り、東に行ったところに山寺はあった。急な山の壁面に所々岩が露出しておりその上に小さなお堂がいたるところに建っている。中国の山水画に見る風景のようである。登山口と書かれた階段を登っていく。お堂があり山門があり京都でもよく見る寺社のたたずまいである。なおも急な石段を登っていくと右手に二体の地蔵を祭ったほこらがあり、そこから急にあたりの風景が一変するように思った。いうなれば、ここから上は浄土の世界なのだ。深く急な傾斜の山中に幾つもの階段が作られており、そのまわりには、地蔵や祠が祭ってある。小さな石が積まれており、子供の供養にか風車がカラカラと回っている。松尾芭蕉の句でも有名なこの地、ここに行くと死んだ肉親の霊と対面できるといわれているという。随分と歩いてやっと頂上についた。修行とはいかに厳しいものなのかを感じる。このような足場の不安定な場所やまるで迷路のように無尽に連なる道を深夜走って巡るというのだ。その中で「修行の岩場」という場所が特に印象に残った。頂上付近の広い参道の対面のわずかに露出した岩場の上にきわどく建物がたっている。そこまでいくことができるのかと不思議に思うほどの場所だ。よくみると絶壁といえるところに細い木がそこへ渡してある。何人もの修行僧がそこで足を滑らせて命を失っていると聞いた。ふと、藤子不二雄のマンガ「山寺グラフティー」の情景が浮かんできた。主人公の男の子と幼なじみの女の子は彼女の父親とともに子供の頃からよくこの山に登った。その後この女の子は病気でこの夜を去るのだが、主人公が成人になり東京に出てきてから、死んだはずの彼女がたびたび目の前に現れるようになった。不思議に思った主人公は故郷、山寺へ帰り、子供の頃彼と彼女が迷い込んだことのある山寺の洞穴に行ってみた。すると、そこには家財道具一式のミニチュアや学校の入学願書などとともに彼女によく似た「こけし」が置かれていた。そのことを彼女の父に伝えると、それは自分がやったことだという。この山では死んだ子供の七五三や誕生日などを生きているとき同様につとめる風習があるというのだ。父親は彼に似せて作ったこけしを見せて、二人を結婚させたらもう終わりにする、嫁にやれば親の責任はそれまでだから、というのだ。山寺の奥の院では死者の結婚式もあげてくれるらしい。二体のこけしが山寺に奉納されて後、東京の彼の元に二人が訪れる。幸せそうな二人。その様子はまるで新婚旅行に行く前の様子でした、と彼はその父親に手紙を出す。銀山温泉へ行くことにした。国道13号線を北上する。少しでも早く着くようにと、県道29号線を山を越えるようにして進むことにした。ここは本当の山道だった。山道を越えたところはいかにも地方の田舎道だった。本当にこの先に温泉街があるのか?と思ったけれども。なおも進むとそこは確かにあった。狭い谷間に寄り集まるように旅館が建っている。この場所には車は止められないので、随分手前から歩いてこの場所を訪れた。銀山温泉というとおり、ここは500年以上昔から銀の採掘で栄えた場所だった、銀坑閉山後も湯治場として名を知られている。小さな川を挟んで建つ旅館群はいずれも昔の情緒をそのまま残している。まるで、明治、大正、昭和初期にタイムスリップしたようだ。その間を歩く。旅館街を抜けると山道になっていて、そこを登っていくと美しい滝があった。あたりは散策道になっていて、山中の美しい自然を満喫できる。全国各地に様々な温泉街があるけれども、心の底からリラックスするには、このような場所がいいのだろうな、と思った。まだ生まれていなかった昔の風景だけれども、血の中に流れる日本人としてのノスタルジーを感じる。ここもまた、失われつつある日本の原風景の一つなのだろう。それから国道13号線を一気に南下し、山形市を抜けて南陽市から113号線を新潟の方へと向かった。日本海へ出たときはもう辺りは真っ黒。そこから113号線を南下する。新潟市内を抜け、泊まるのに適当な場所を探したがなかなか見つからなかった。そこで仕方なく、トイレもない道沿いの小さな駐車場で一泊する。朝5時15分。まだ辺りは暗いが出発することにした。じょじょに空が白み青くなっていく。こちらは日本海側なので日の出は見ることはできないと思っていたが、どういう具合なのかふと後ろを見ると山から日が昇っていた。 その後、ひたすら国道8号線を進み、富山から41号線を南下、高山、下呂を越えて岐阜。いつもの道を大垣、関ヶ原、滋賀と越えて宇治の自宅についた。今までにない長期間、長距離の旅。ますますこの旅のおもしろさを感じた

  
 

 


 

 

 

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